大内宿は、とっても幻想的で素敵なところでした。


去る、3月3日(土)〜4(日)集落の団体で、栃木県古峯神社参拝してきました。
帰り道、南会津の大内宿に寄ってきました。これがまたなんともスバラシイかったのでレポートします。そこは昔ながらの集落がそのまま保存され、江戸時代にタイムスリップしてしまった錯覚に襲われたのです。家の殆どは茅葺屋根の木造家屋、300mほどある一本の道路の両側に昔ながらの家が並んで建ち、それぞれの家屋で、民芸品、乾物、食堂、民宿を営業しています。冬の悪天候時は、店は休業になるそうです。雪の大内宿もおつなものです。駐車場は、集落のはずれにあってそこから徒歩で散策します。普段は、上野のアメ横ぐらいの人混みでごった返しているそうです。当日は、カップル、団体、家族連れで賑わっていました。是非、一度は行ってみましょう。

            • 福島県観光・旅行見所ナビより抜粋---------

大内宿は会津若松と日光を繋ぐ会津西街道又は下野街道と呼ばれる街道の宿場町でした。江戸時代に入り街道が整備されると会津西街道は会津藩新発田藩村上藩米沢藩の参勤交代に使用され、経済的にも廻米道として利用されるなど重要視されました。又、大内宿は回りが高い山々に囲まれている為、独立した宿場町として発展し、本陣をはじめ旅籠や問屋などが設けられ賑わいをみせていました。明治維新後は街道制度が廃止され主要交通機関から外れた事で大内宿も次第に人や物資の往来が減少し衰退していきます。この事は大内宿の町並みが残される大きな要因となり昭和に入っても旧街道の両側には茅葺屋根の建物が軒を連ねていました。その後、時代が下がるにつれて大内宿にも近代化の流れが訪れ、道路の舗装化や金属板葺きの屋根、アルミサッシなどが目立つようになりましたが、古い町並みが残っている事で昭和56年(1981)に宿場町としては妻籠宿、奈良井宿に次いで全国3番目に重要伝統的建造物群保存地区に選定、大内宿を含む前後10キロには旧会津西街道の石畳や、三郡境の塚、茶屋跡、一里塚、馬頭観世音碑などの遺構が見られることから国指定史跡に指定されています。現在の大内宿は保存運動にも力が入り再び茅葺屋根に戻す民家が増え、舗装道路も撤去され水路を復活するなど古来の大内宿の姿に戻りつつあります。

            • 福島県観光・旅行見所ナビより抜粋---------

詳しくは下記URL参照
福島県観光・旅行見所ナビhttp://www.fukutabi.net/fuku/oouti.html
大内宿観光協会http://ouchi-juku.com/

旅のつづきは田舎暮らし―僕とカミさんの定年後・南会津記

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